第3回
お母さんの魔法のオーブン【前編】
神ノ口優子さん
ちいさなお菓子工房ひつじ 店主。
これから会う素敵なあの人をイメージして作るお弁当と、いろいろなおはなし。
ちょっと気になるあの人の、大切にしていることや、今までたどってきた道のりなど、素敵だからこそ、あれやこれやと聞きたくなる。自分とは違う時間を過ごした、ちょっぴり憧れる人々に話を聞きたくて、気ままに続ける不定期連載、「おべんとう書簡」。
これから会う素敵なあの人を想って作るお弁当。今の季節ならこの食材がいいなとか、こんなおかずはどうかな・・・
想像しながら作って、お弁当箱に詰めて。ハンカチでキュッと縛って出来上がり。
お弁当片手にてくてく、素敵なあの人に会いに行く。
今日のお弁当は、お酒にもごはんにも合いそうな、「おつまみ弁当」。
お酒が大好きな彼女は、休日にはせっせとおつまみを作っって、夫婦で晩酌しながらのんびりお家時間を過ごすのが好きだという。お酒に合いそうなおかずは、ごはんに合うものも結構多いから、お酒が沢山呑めない私も何となくのイメージで作れるかな。
おかずは、鰯の甘味噌焼き、牛すじ蒟蒻、味玉やポテトサラダ、アスパラの春巻きにたけのこの煮物。
ごはんの中には海苔を挟んで、お醤油をたらり。上からごはんをかぶせたら、鰹節をぱらぱらと。
題して「飲ん兵衛のり弁」
今回会ってきたのは、お料理教室sajiのすぐ近く、上新屋町で「ちいさなお菓子工房ひつじ」を営む神ノ口優子さん。私は優子さんに頭が上がらない。気持ちでは、足を向けて寝られないと思っている(無理だけどね)。私が開業した当初に、肉体的にも精神的にも支えになってくれて、感謝してもしきれない。店主としても先輩である優子さんに、お店を開くまでと今後について伺ってきました。
これからお弁当持って、会いに行きます。「ちいさなお菓子工房ひつじ」の外観はこんな感じ。
魔法のオーブンがやってきた
子供のころ、各家庭にオーブンレンジが普及し始め、ほどなくして優子さんのもとにもやってきました。
オーブンを買うとついてくる付属のレシピ。そのレシピを元にお母さんがお菓子を作ってくれたことが、そもそものきっかけだったといいます。
「お母さんがマドレーヌを作ってくれたんだけど、それがすごく美味しくて。お店で売られているお菓子を家で作ることができるなんて、本当に魔法みたいって思ったの。お菓子ってお家で作れるんだ!って本当にワクワクして。そこから付属のレシピを見て色々なお菓子を作り始めたんだ。まずはお母さんの真似をしてマドレーヌやクッキー、お楽しみ会にはカップケーキ、好きな男の子にはバレンタインに手作りチョコレートを作って持って行ったりして、どんどんお菓子作りにのめり込んでいったよ。」
お菓子を作ると自分も楽しいし、食べると更に楽しくて。そして、喜んでくれるともっと嬉しくなる。
オーブンとの出会いで、お菓子の世界がどんどん大きな存在になっていき、いつしかケーキ屋さんになることが夢であり、目標になっていきました。
そして高校卒業後、縁あって地元のケーキ屋さんで働き始めます。憧れのケーキ屋さんでの仕事。夢と希望に満ち溢れて入った世界でしたが、悲しいことにケーキ作りとは違う面で挫折を味わうことに。
「念願叶ってケーキ屋さんで働くことになったけど、そこでいじめにあって。オーナーがいて、スタッフが数名いてっていうお店だったんだけど、入ってみたら、全体的に人間関係が良くないお店だった。お客様から見える表側では可愛らしいケーキをたくさん並べて、笑顔で接客して。可愛いケーキを作っているのに、裏側ではものすごくギスギスしていていじめがある世界で。そんなのって嘘だなって思って。大好きで入った業界だったけど、大好きなスイーツの世界で夢や希望があっただけにショックが大きくて、辞めてしまったの。」
キラキラとした憧れがあっただけに、ゆがんだ人間関係は優子さんを苦しめました。「逃げたんだと思う」と優子さんは言いますが、そうとは言い切れない部分もあったでしょう。経験を積み、技術を身に付けるための厳しい日々なら切磋琢磨しながら続けていけたかもしれませんが、その時見た表裏のギャップは、割り切れないところも多かったのかと想像できます。
この出来事は、優子さんに暗い影を落とします。楽しかったお菓子作りから距離を置き、地元の企業にOLとして就職しました。そこで事務職を経験。仕事にも人間関係にも恵まれ、何の不満もなく楽しい時間を過ごす中、いつしかスイーツとは疎遠になっていきました。
紆余曲折を経て、今があるんだね。
本心と向き合う・・・やっぱりお菓子作りが好き
お菓子作りとは無縁の仕事。人間関係も良好、安定した職場での仕事、何も不満のない日々。そんな日々が数年続いた頃、少しずつ大好きだったお菓子作りへの感情が芽を出し始めます。
仕事に不満はない、これといって辞めたい理由があるわけでもない。ただ、漠然と「自分の人生、このままで良いのだろうか。」という疑問が芽生え始め、心の中にしまっていたお菓子作りへの気持ちが少しづつ大きくなっていきます。良好な人間関係の中で仕事をしてきたことで、心にゆとりができ、改めて自分の本心を見つめる事ができたのかもしれません。
「好きな事とちゃんと向き合ってみたい。一度しかない人生、失敗しても良い、後悔したくない、自分のやりたいことをやってみよう。」
OLとして過ごした数年間は、スイーツとは無縁でも、優子さんにとって大きな糧になったのでしょう。次の行動に移すにあたって、背中を押してくれる、人生の大切な財産となりました。
人によってのタイミングはそれぞれ。目標への道が最短ルートでなくても、回り道したからこそ得られるものも沢山あります。
OL生活で経験した日々を胸に、安定した生活にピリオドを打って、新たな道を歩み始めます。
お菓子作りの道に進むにあたり、まずは専門学校に入学することにしました。
いっつも、いい顔して食べるんだよね~
専門学校での日々、そして就職
「お菓子作りの基本から学ぶために、専門学校に通うことにしたの。入学を決めてからは学費を貯めて、働きながら学校に通う為に、夜間生になったんだ。この時すでに将来お店を持つことはぼんやりと考えていたなぁ。だけどどんなお店なのかは決めてなくて。カフェとかケーキ屋さんがいいなぁぐらいで。製菓製パン科だったから、もしかしたらパン屋を目指したかもしれないね(笑)」
夜間生という事もあり、社会人経験を経て入学する生徒も多かったそう。同じような経験を経て学生になった同級生たちとは気が合い、充実した学生生活を送ります。
学生生活は「ただただ楽しかった」と笑う優子さん。私も大人になってから、専門学校に入学したので、共感できる部分がありました。夜間生だと、昼間は働き、夜は学校という日が1年半続くので、意思が強くないと続きません。当時の「学びたい」という気持ちと、学ぶ姿勢は中学高校の頃よりもよっぽど強かったと思います。優子さんにとっても、目標をもって勉強をする仲間がいる環境はとても刺激的でした。
優子さんは当時について、こう語ります。
「 ケーキを作ること自体は店でもいずればできるようになる。でも、理論的な部分は忙しく働く中ではどうしてもおろそかになるかもしれないなと思って専門学校にしたんだよね。これは何のための加熱なのか、どうしてこういう状態になるのか、衛生面に関して何をどう気を付けるべきなのかとか、働き始めたら学べないかもしれない事をきちんと勉強できたのは、本当に良かったと思う。今に繋がっているなって思うよ。」
充実した学生生活を送り、いづれ訪れる卒業。その後の進路を考えた時に、心に決めていたことがあります。それは、「シェフの元で修業するお店ではなく、スタッフ同士の立場が変わらないお店で働く」ということ。
以前の勤務先での苦い経験から、オーナーが別にいて、パティシエが同じ立場で勤務できる職場で働きたいと思っていました。そして、いずれお店を持つことを念頭に、お菓子作りの技術だけでなく、経営、仕入れ、開発等、様々な仕事を近くで見ることができる職場を探し始めます。
ほどなくして、掛川のお茶屋さんがオーナーを務めるケーキ屋さんが新店舗を作りにあたり、オープニングスタッフを募集していると知り、縁あって働くことになりました。
後編へ続く